食文化・ポーランド特集①

みなさま、こんにちは。食文化学科の関野です。
夏休みを利用してポーランドに行ってきました。今回から2回シリーズにて、ご紹介します。
 

1)ポーランド人で有名な人物は三人

一人目はコペルニクス(1473-1543,天文学者でカトリック司祭)。
この時代は地球の周りを太陽が回る天動説でしたが、
彼は太陽の周りを地球が回る地動説を唱えました。

二人目はショパン(1810-1849,作曲家でピアノの詩人とも呼ばれた)。
彼の父親はポーランドに移住してきたフランス人で母親がポーランド人でした。
大国ロシア帝国に翻弄される故国ポーランドへの想いからか、彼はポーランドへの強い愛国心を持ち
フランスの作曲家としてよりポーランドの作曲家として活躍していました。
彼はポーランドを出て西ヨーロッパで活動し、二度とポーランドに帰ることはなく
肺結核で39歳の短い人生を閉じました。彼の遺言に従い、葬儀の前に外科的手術で取り出された心臓は
姉によって祖国に持ち帰られ、教会の柱に、収められました。

そこにはマタイによる福音書6:21「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」が
刻まれていました。子犬のワルツなど軽やかな名曲を数々作った彼の中に住む
エネルギーをただただすごいなーと感じました。



三人目はマリア・スクウォドフスカ=キュリー(1867-1934,物理学者、化学者) 。
写真はキュリー夫人博物館の壁(マリアの実家)に「Po」「Ra」と娘を抱いたキュリー夫人が描かれています。
彼女はワルシャワ生まれ、キュリー夫人として偉人伝などで紹介されています。
夫のキュリーはフランス人でした。

放射線の研究で、1903年ノーベル物理学賞、1911年のノーベル化学賞を受賞し、
放射能 (radioactivity) という用語は彼女の発案でした。女性初のノーベル賞受賞者であり、
かつ2度受賞した最初の人物です。また、物理学賞と化学賞の両方を受賞しているのは、
彼女だけです。娘イレーヌ夫妻も1935年にノーベル化学賞を受賞しました。
1898年7月、ポロニウム(Po)と名づけた新元素発見、12月には、激しい放射線を発するラジウム(Ra)と
命名した新元素の存在について発表しました。
 

2)ポーランドの食文化

食事はレストランではなくバルと呼ばれる簡単な食堂がお勧めで
特にミルクバルが家庭料理を味わうのに最適でした。
私もミルクバルで食事をしました。寒いお国柄でスープの種類が多かったです。

赤カブのスープが一番のお勧めでした。(下写真、左上)
スープの中の白い物は白花豆で、スープの酸味が暑い夏には最適です。
白花豆を小豆のように甘く煮て食べる習慣はないそうです。

赤カブスープの右横は、ピエロギと呼ばれる水ギョウザにキノコの炒め物がトッピングしてありました。
キノコは色々な料理に出てきて非常に美味しかったです。右端はジャガイモのマッシュと揚げハンバーグです。(下写真、右上)



上写真右上の上のお皿はトマトスープとチーズスープで、
日本の家庭料理と同じような味がしました。また左下写真は、デザートのパンケーキです。
白チーズ、ジャガイモ、玉ねぎの炒め物を混ぜ春巻きの皮のようなもので包み、揚げてありました。
美味しくて、ボリュームたっぷりでした。ポーランドはキノコ、チーズ、ジャガイモが豊富です。

チョット高級なレストランでも食事をしました(右下写真)。
魚料理は川魚が多く、フライやソテーが定番で私も鮭のソテーをいただきました。
デザートにチーズケーキを注文しました。チーズケーキの発祥地はポーランドという説もあります。

EUの一員で農業国であるポーランドは、今、ロシアへの制裁で野菜、果物の輸出が
止まり深刻な状態だそうです。特に、リンゴの収穫期が今で、急に2~3倍もの加工品を作ることが出来ないため
収穫されずに木に残ったままになっていました。
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ポーランド特集は次に続きます。