【日創FW⑯】戊辰戦争と大阪城

こんにちは。日本文化創造学科2年のねこまるです。

 

昨年末の12月20日に歴史文化フィールドワークの学外授業で
大阪城&大阪歴史博物館へ行って来ました。

 

私の担当は「戊辰戦争と大坂城」ということで、大坂城についてのお話をしたいと思います。

 

慶応3年(1867)10月、15代将軍 徳川慶喜は大政奉還をおこないます。
迎えた慶応4年正月、鳥羽・伏見の戦いで敗れた旧幕府軍は大坂城に逃げ帰りますが、6日の夜半に慶喜が密かに大坂城を脱出し、天保山沖の幕府軍艦で江戸へ逃げ帰ってしまい、このため、7日以降城中は大混乱となります。
統制のとれなくなった大坂城内で9日未明に火事が発生し、それが翌10日に城内の青屋口の焔硝蔵(火薬庫)に引火、大爆発が起こしてしまいます。
この出来事で大坂城は一挙に、ほとんどの建物を消失してしまいます。



この写真は二ノ丸堀の石垣に建っている櫓です。
本来は7つありましたが、ほとんどが戊辰戦争の際に消失してしまいました。



こちらは桜門です。戊辰戦争の際、櫓が焼けてしまい、現在の桜門は明治20年(1887)に陸軍大阪鎮台の様式にのっとり再建されたものです。



現在3代目の大阪城天守閣。大阪城を訪れる際は、秀吉時代の初代、徳川時代の2代目、昭和からの3代目、それぞれの違いと、それぞれの良さを知りつつ、ぜひ観光してくださいね。