【日創FW⑥】大阪城豊臣石垣公開プロジェクト

大坂夏の陣(1615)から400年たったことを記念して、

ただ今、大阪市が「大阪城豊臣石垣公開プロジェクト」が天守閣の南西のエリアで行っています。

 

そもそも、大坂夏の陣で徳川家に破れてしまった豊臣家。

徳川家は、大阪城を新しく建てるときに城を崩すのではなく、地下深くに埋め立ててその上に新しい大阪城を建てたのでは…

ということがわかり、大阪城や周辺の上町台地等を掘り起し、公開する企画が始まりました!

↓ 公開予定地の写真



 

そして、現在の天守付近で発掘された秀吉時代の石垣は、詰ノ丸の部分で、
野面積(のづらづみ)という方法で積まれていたことがわかりました。

秀吉時代の石垣は、高さ4.5mもあり、大きな石と石の間に間詰め石として

小さな崗岩製のごつごつとした石が多数詰められています。



大石と大石との隙間を埋めるために様々な形の石が埋めるために様々な形の石が使われていて、徳川家の石垣と比べて大変素朴で表面に火災の痕跡や剥離痕があることが特徴です。

また、平瓦も使われていて、大阪城以前に本願寺を建てる際にも使われていました。

 詰ノ丸石垣は秀吉時代の大阪城の中心となる重要な石垣で、ほかの石垣とは

明らかに大きな石垣が使われているのが特徴です。

 

なお、秀吉時代の大阪城本丸は「詰ノ丸」「中ノ段」「下ノ段」の三構造からなっていたと考えられますが、昭和34年には、中ノ段の地面から下ノ段の地面へと繋がる石垣も発見されています。

秀吉時代の「中ノ段」の地は現在の地面からさらに7m下にあり、本来別の用途に使われていた石材が多く含まれていたそうです。

 

この「大阪城豊臣石垣公開プロジェクト」!

ブログを読まれ興味を持たれた方は大阪城まで足を運んでみては?

ぜひぜひお早目に(*^-^*)