日本文化学科
2016.02.16
【日創FW④】豊臣秀吉と大阪城
こんにちは、日本文化創造学科のミヤザキです!
昨年12月20日、大阪城と歴史博物館に行ってきました!
歴史博物館の前で待ち合わせをして、大阪城の方に行きました。
写真は、大阪城の南側の石垣です。先生に解説をしてもらいました。
大阪城の区域に入ります(写真は、大手門の内側)
私は今回、豊臣秀吉について調べました。
秀吉はもともと、尾張国の土豪クラスの農民に奴婢として雇われていたそうです。やがて、そこの主人の勧めで商人に仕えるうちに、今川義元の家臣で遠江国頭陀寺城主の松下之綱に拾われることになりました。秀吉はそこでの奉公を経て、尾張国中村に戻り、天文23年(1554)、織田信長に仕えることになりました。やがて、信長の後継者として頭角を表します。
秀吉の話は、特に大阪城の中でその生涯を記した年表がありました。
これは、大阪城の最上階から見た景色です。
数年前まで高所恐怖症だった名残か、結構震えました(苦笑)
昨年12月20日、大阪城と歴史博物館に行ってきました!
歴史博物館の前で待ち合わせをして、大阪城の方に行きました。
写真は、大阪城の南側の石垣です。先生に解説をしてもらいました。
大阪城の区域に入ります(写真は、大手門の内側)
私は今回、豊臣秀吉について調べました。
秀吉はもともと、尾張国の土豪クラスの農民に奴婢として雇われていたそうです。やがて、そこの主人の勧めで商人に仕えるうちに、今川義元の家臣で遠江国頭陀寺城主の松下之綱に拾われることになりました。秀吉はそこでの奉公を経て、尾張国中村に戻り、天文23年(1554)、織田信長に仕えることになりました。やがて、信長の後継者として頭角を表します。
秀吉の話は、特に大阪城の中でその生涯を記した年表がありました。
これは、大阪城の最上階から見た景色です。
数年前まで高所恐怖症だった名残か、結構震えました(苦笑)