ミャンマーの旅

皆さん、こんにちは、関野です。今年もよろしくお願いいたします。
冬休みにミャンマーへ行きました。

ミャンマーの国民食のモヒンガーです。朝食の定番で、ナマズの出汁スープにソーメンにそっくりな米麺を入れます。トッピングはパクチー、ゆで卵、ちぎった揚げパンなど。

ミャンマーはインド、中国など5か国に囲まれた国で、中国の影響で餃子、チャーハン、空芯菜の炒め物、インドの影響でカレーがテーブルに出てきます。

ヤンゴンから北600kmにあるバガンは11世紀にビルマ族が最初の統一王朝を築いた所で、3000を越える仏塔が平原に立ち並び圧巻です。カンボジアのアンコールワット、インドネシアのボロブドゥールと共に、世界三大仏教遺跡の一つで2019年に世界文化遺産に登録されました。

ここは乾燥地帯で米の栽培ができないので落花生、ゴマなどが作られています。また、ヤシ科の棕梠(シュロ)の木々が政府の施策でたくさん植えられています。棕梠は建て具材、屋根材、酒、砂糖などに木まるごと利用できるので、農民たちがこの木を使って生活の糧を得るためです。

ミャンマー伝統の「棕梠(シュロ)酒を作り、「棕梠糖」を作る農園に立ち寄りました。ヤシの木の酒は「パームワイン」、棕梠酒は「トディ」と呼ばれ区別されています。
  • 棕梠(シュロ)酒

  • 棕梠糖

鶏のゆで卵と一緒に、ウズラのゆで卵がいろいろな店で売られていて驚きました。他のアジアの国々では見たことがありません。肉ならフランス製、卵なら日本製と卵をたくさん産む日本のウズラはアジア・南米で広く飼われています。
江戸時代に家禽化、明治時代に採卵用に飼育され、大規模飼育したのは日本が最初です。そのため、ウズラ卵は日本の食文化として世界中に広がっています。

顔に塗るタナカの木で、天然の日焼け止めとニキビに効くそうです。専用のひき臼で少しの水と共に擦って白色のペーストを顔に塗ります。田舎では男女共顔に塗っていますが、都会のヤンゴンでは若者のタナカ離れがすすみます。
英国風の家の2階の右端の部屋がヤンゴンでのアウンサン将軍の活動場所で、支援者の自宅です。その活動場所にアウンサン将軍の写真など遺品が飾られていました。アウンサン将軍は「ビルマの建国の父」として死後も敬愛され、銅像が各地にあります。彼は32歳で暗殺され、長女のアウンサンスーチーさんは当時2歳。
2020年1月4日独立記念日にアウンサン将軍の新紙幣1000チャット(80円ぐらい)札が、発行されました。1950年代アウンサン将軍の紙幣が発行され、軍事政権下の1990年紙幣から姿を消しました。今回、この秋の総選挙を見据えた発行と国民から言われています。

ヤンゴンは2006年にネピドーへ遷都されるまでミャンマーの首都。黄金にひかり輝くシュエダゴン・パゴダはミャンマー仏教の総本山。紀元前585年に奉納された仏陀の髪8本を祭っています。塔の最頂部に寄進されたダイヤモンド、ルビーがたくさん埋め込まれています。
ミャンマーは国民の90%ほどが敬虔な仏教徒の仏教国で上座部仏教。上座部仏教は生まれた曜日が重要でミャンマー伝統歴八曜日(水曜日だけ、午前と午後に分かれる)で自分の生まれた曜日を調べ、そこから性格などが分かります。

ゴールデンロックはチャイティーヨー山の山頂にあり、落ちそうで落ちない大岩は6トン。大岩の上部に高さ7mの仏塔が建ち、中に仏陀の頭髪が入っていると信じられており、たくさんの人々がお参りにきています。この大岩の近くに行けるのは男性のみで、彼らは岩の表面に金箔を寄進し貼っています。そのため、右側の方が重くなり右側に動いているそうです。麓からゴールデンロックまで50分ほどの悪路を走るのは、150台の日本製の中古大型トラック。日本のたくさんの中古車が第二の人生を送り、お役に立っています。

長い間、世界三大仏教遺跡を見に行きたいと思っていました。最後の聖地に行き夢をかなえることができました。