【日本文化創造学科フィールドワーク・清水坂⑤】六波羅探題跡を見て

こんにちは、日本文化創造学科2年のカワバタとパンダです。
先日、観光フィールドワークの実習で清水坂に行ってきました。

私たちは「六波羅探題」について調べました。
六波羅探題とは、鎌倉幕府が京都に設置した機関で、洛中警護や、西国に関する裁判、朝廷との交渉などを職務としました。
六波羅探題の起源は、承久の乱の際に幕府軍を率いて京都に行った北条泰時と時房がそのまま都にとどまり、六波羅の北・南の館に駐留し、乱後の処理に当たったことだとされています。
鎌倉幕府が滅びた際、六波羅探題の責任者だった南方の北条時益が戦死し、北方の北条仲時以下も自害したため、同時に滅亡に至りました。

現在、六波羅探題の面影を感じることができるものが六波羅密寺内にあります。



六波羅密寺の門を入った右手側に、六波羅探題跡の石碑が建てられています。


小さな石碑なので、気づかずに通り過ぎてしまう方が多いのではないかと思います。
私たちもなかなか気づくことができなかったのですが、見つけられた時はとても嬉しかったです。
ぜひ、探してみてください。