心理学科
2016.09.26
みなさん、こんにちは。心理学科の渡邊です。
雨の火曜日、とある展示を見てきました。
『静かなる動物園〜アートに棲む生きものたち〜』
高島屋別館にあります、高島屋史料館という場所での特別展でした。
40年弱大阪で生きていきましたが、恥ずかしながら生まれて初めて
高島屋の別館の中に入りました。
なんと大正から昭和初期にかけての建造物ということで
エントランスや看板からもそのレジェンド感が伝わってきました。
雨の火曜日、とある展示を見てきました。
『静かなる動物園〜アートに棲む生きものたち〜』
高島屋別館にあります、高島屋史料館という場所での特別展でした。
40年弱大阪で生きていきましたが、恥ずかしながら生まれて初めて
高島屋の別館の中に入りました。
なんと大正から昭和初期にかけての建造物ということで
エントランスや看板からもそのレジェンド感が伝わってきました。
残念ながら館内は撮影禁止でしたので、
チラシだけ写真に撮ってはっつけてありますが、
展示の多くは、戦前に高島屋が欧米に向けて輸出していた染織品を作る際の下絵。
そこに動物がモチーフとして描かれたものだけが集中して展示されていたというわけです。
チラシだけ写真に撮ってはっつけてありますが、
展示の多くは、戦前に高島屋が欧米に向けて輸出していた染織品を作る際の下絵。
そこに動物がモチーフとして描かれたものだけが集中して展示されていたというわけです。
大学では“人と動物の関係”について研究、授業を行っている関係もあり、
「日本人の持つ動物観」というものが少しでも感じられたらいいなぁと思っていました。
ちなみに入場無料。
これで入場無料は値打ちありすぎ、という内容でした。
たしかに、それら下絵が工芸品としてどのような作品となったのかが見てみたいなぁと
いう気持ちもありましたが、逆に下絵だからこそ、微妙に修正した線が入っていたり、
紙を切って貼ってしているところがあったりして、
それはそれで新鮮で面白いなぁと思いました。
面白いなぁと思ったことの一つは、木の枝の上に鶏やガチョウが止まっている
構図の絵があったことです。
先ほどそれらを下絵として作られた染織品が欧米に輸出されていたということを
書きましたが、欧米人が知っている動物を欧米人が好んだであろう日本画的構図に
わざと入れ込んだんだんでしょうね。
一方でツルやフクロウが木に止まっている絵もあったのですが、
それはあまり鳥が主張しておらず、
これは日本人向けに描かれたのかなぁなんて思ってもいました。
日本人の商魂たるや。逞しかったんですね、先輩たちは。
売れるために知恵を絞りに絞っていたんだろうと思いました。
もう一つ感じたことがあります。
それは動物たちに“感情”があるかのように顔の表情を描いている作品が多いなぁと
いうことでした。
たとえそれが鳥であっても、なにかをこっちに訴えてくるような顔に見えました。
それが猿や犬といった哺乳類になると、もう本当に一人の人間が、複雑な感情を
持っているかのように描かれています。いや本当に写真をお見せできないのが残念。
興味のある方は是非足をお運びいただけたらと思います。
日本人は動物との心の距離が近い、人間と動物の区別があいまいだ、
みたいなことは比較的よく耳にするような表現だと思います。
その根底に、我々日本人が動物の姿から感情を読み取る力が
長けていたということがあるのかもしれません。
また絵を見ていますと、感情というものは表情だけではなく、
体の使い方からも読み取ることができるのではないかという気もしてきます。
振り返ってこちらを見る雁の姿など、何か非常に哀愁めいたものを感じざるをえません。
日本人にとって動物というの、かくも身近な存在であり、
もしかしたら自分自身の思いをその動物に託して描いていた、
なんていうこともあったのかもしれませんね。
それが「動物と人間の区別が曖昧」という言い表し方につながっていったのかもしれません。
日本人にとって動物というのがどういう存在であったのか、
そしてそこから先人たちはどんなメッセージを世界に向けて発信しようとしていたのか。
興味はつきません。研究材料としても非常に興味深いと感じました。
このように心理学科のアニマルセラピーコースでは、
犬や馬などとのふれあいだけではなく、
人にとって動物とはどのような存在なのか、
そして動物にとって人はどのような存在なのかということを
様々な角度からとらえようと試みています。
ありがとうございました。
「日本人の持つ動物観」というものが少しでも感じられたらいいなぁと思っていました。
ちなみに入場無料。
これで入場無料は値打ちありすぎ、という内容でした。
たしかに、それら下絵が工芸品としてどのような作品となったのかが見てみたいなぁと
いう気持ちもありましたが、逆に下絵だからこそ、微妙に修正した線が入っていたり、
紙を切って貼ってしているところがあったりして、
それはそれで新鮮で面白いなぁと思いました。
面白いなぁと思ったことの一つは、木の枝の上に鶏やガチョウが止まっている
構図の絵があったことです。
先ほどそれらを下絵として作られた染織品が欧米に輸出されていたということを
書きましたが、欧米人が知っている動物を欧米人が好んだであろう日本画的構図に
わざと入れ込んだんだんでしょうね。
一方でツルやフクロウが木に止まっている絵もあったのですが、
それはあまり鳥が主張しておらず、
これは日本人向けに描かれたのかなぁなんて思ってもいました。
日本人の商魂たるや。逞しかったんですね、先輩たちは。
売れるために知恵を絞りに絞っていたんだろうと思いました。
もう一つ感じたことがあります。
それは動物たちに“感情”があるかのように顔の表情を描いている作品が多いなぁと
いうことでした。
たとえそれが鳥であっても、なにかをこっちに訴えてくるような顔に見えました。
それが猿や犬といった哺乳類になると、もう本当に一人の人間が、複雑な感情を
持っているかのように描かれています。いや本当に写真をお見せできないのが残念。
興味のある方は是非足をお運びいただけたらと思います。
日本人は動物との心の距離が近い、人間と動物の区別があいまいだ、
みたいなことは比較的よく耳にするような表現だと思います。
その根底に、我々日本人が動物の姿から感情を読み取る力が
長けていたということがあるのかもしれません。
また絵を見ていますと、感情というものは表情だけではなく、
体の使い方からも読み取ることができるのではないかという気もしてきます。
振り返ってこちらを見る雁の姿など、何か非常に哀愁めいたものを感じざるをえません。
日本人にとって動物というの、かくも身近な存在であり、
もしかしたら自分自身の思いをその動物に託して描いていた、
なんていうこともあったのかもしれませんね。
それが「動物と人間の区別が曖昧」という言い表し方につながっていったのかもしれません。
日本人にとって動物というのがどういう存在であったのか、
そしてそこから先人たちはどんなメッセージを世界に向けて発信しようとしていたのか。
興味はつきません。研究材料としても非常に興味深いと感じました。
このように心理学科のアニマルセラピーコースでは、
犬や馬などとのふれあいだけではなく、
人にとって動物とはどのような存在なのか、
そして動物にとって人はどのような存在なのかということを
様々な角度からとらえようと試みています。
ありがとうございました。