【日本文化創造学科フィールドワーク・中之島③】梅花女学校発祥の地に行きました

こんにちは!日本文化創造学科2年の赤崎です。
先日、「歴史文化フィールドワーク」の学外実習で、大阪の中之島へ行ってきました。


その際、現在、私たちが通っている梅花女子大学の発祥の地を訪れたので、ご紹介します。


明治11年(1878)、土佐堀裏町に梅花女子大学が誕生しました。
当初の名前は、「梅花女学校」でした。
澤山保羅や成瀬仁蔵などによって創立されました。当初の生徒数は15名だったそうです。
外国人教師を招いて英語を教えたりするなど、女子教育に力が入れられました。

「澤山保羅の肖像が描かれた梅花発祥の碑」
 

梅花の学生の方なら誰もが聞いたことのある、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」という学生証の裏や、食堂の壁などに張られている、澤山保羅の言葉は、澤山自身が常に口ずさみ、生徒などに言ったりするなどして、大切にしていた言葉だそうです。
 

ところで、学校名の“梅花”は、「梅本町公会」(現在の大阪教会)と「浪花公会」の教会員が学校の開設に協力したことから、「梅」と「花」をとって付けられました。

フィールドワークでは、名前の由来となった「梅本町公会」(現在の大阪教会)と「浪花公会」も訪れました。

「大阪教会」

「浪花教会」

 

創立140周年を迎えた梅花女子大学は創立者の方々が思い描いた学校になっているのかなーと、この授業を通して、調べて思いました。

今回、梅花の歴史や創立の背景を知ることができたので、とても勉強になりました。
私たちが通っている学校の歴史を調べていくうちに、梅花設立のためにたくさんの方が尽力していたことがわかり、嬉しかったです。