【日本文化創造学科フィールドワーク・伏見⑤】伏見に漂う戦の残り香


こんにちは、日本文化創造学科2年のヤマウラです。

 

昨年12月の観光フィールドワークのレポートです。今回は京都、伏見の町に残された江戸時代末期の戦いの聖地について記述させていただこうとおもいます。

 

幕末(江戸時代末期)、旧幕府軍(会津藩・桑名藩など)と、新政府軍(薩摩藩・長州藩など)が、ここ、伏見の地で戦いを繰り広げました。そんな中、旧幕府軍が立てこもったとされるのが『伏見奉行所』、薩摩藩が屯所を置いたとされるのが『御香宮神社』です。この二か所は、歩いて回れるほど近くにあり、この二つの場所の間には今でも銃痕と思われる傷が残されているところもありました。

 

では、現在の二か所の写真を見てみましょう。

まず、『伏見奉行所』です。




 

奉行所の跡地には、今は石碑しか残っておらず、周囲には閑静な住宅街が立ち並んでいました。数では勝っていた旧幕府軍ですが、物資の不足や味方の裏切りなどにより戦況は不利になり、伏見奉行所も官軍による放火で焼け崩れてしまったそうです。

 

次に、『御香宮神社』を見てみましょう。




戦に巻き込まれながらも本殿は無事で、安産の御利益があるなど、現在でも地域の皆さまに親しまれているようです。

 

このように、伏見の町には当時の戦の影がところどころ残されていました。今大人気の新撰組や、薩摩藩・萩藩の戦った地を、皆様も一度歩いてみてはいかがでしょうか。

 

以上、御高覧ありがとうございました。

 

【日本文化創造学科フィールドワーク・伏見④】総本家駿河屋さん