【日本文化創造学科フィールドワーク・琵琶湖疏水⑩】小川治兵衛について


こんにちは。日本文化創造学科のリンゴです。

 

12月2日、観光フィ‐ルドワークの授業で京都、蹴上に行ってきました!
予定していた10月は台風の影響で中止になってしまいましたが、今回は見事晴れて雨も降らずに無事行くことができました!!

 

私の担当箇所は小川治兵衛という人物についてです。
みなさん、「植治」という言葉をご存じですか?
私も小川治兵衛を調べたとき初めて知りました。「植治」は小川治兵衛の屋号のことです。
小川治兵衛を知るにはこの「植治」がキーワードになるので忘れずに~
 

上の写真は、植治こと小川治兵衛が作庭した庭「無鄰菴」の見取り図です。
受付でもらえます。上をみると紅葉に松、下を見ると一面緑の苔で覆われていて日本の風情豊かさがみえてとてもきれいでした!!
入口から入ってぐるっと一周できるので写真を撮りながら歩くのもいいですね~(行き止まりもあるので注意!)

 

ここまで、無鄰菴の説明ばかりになってしまったので、ここからは小川治兵衛の話をします~
そもそも、小川治兵衛がなぜこの無鄰菴を作庭することになったのか?
ここ無鄰菴は山県有朋の別荘となっています。日露戦争についての会議をしたのもここ無鄰菴の洋館の二階でした。植治は明治28年の暮れごろから無鄰菴の作庭をはじめたとなっています。命令したのはもちろん山県有朋。山県がここに決めた理由は幽邃の地・静かな地を求めたためだとされています。
たしかにとても静かで不思議な空間でした。

作庭当初から高い評価を受けていたということで、たしかに私の目からでもとても落ち着いていて風情のある庭だと感じました。

 

ここまで小川治兵衛について堅く語ってしまいましたが、無鄰菴の歴史や小川治兵衛について知り、
それを踏まえて楽しむのもいいと思います。
みなさんもぜひ行ってみてください~

 

【日本文化創造学科フィールドワーク・琵琶湖疏水⑨】無鄰菴に行って