焼尻島、天売島を訪ねて

みなさま、こんにちは、関野です。
 
私は、ニシン漁・北前船に興味があり日本各地にある跡地をめぐっています。
今回は北海道焼尻(ヤギシリ)島を訪ねました。
焼尻島は北海道羽幌町から西の沖合25km、日本海に浮かぶ島。
焼尻島の港の北の高台にある、旧小納(こな)家を見学しました。
旧小納家の南にある港には番屋(漁場近くの作業場兼宿泊施設)が
港一杯にあった写真も興味深く拝見しました。

上写真は石川県塩谷村(現在加賀市)出身の焼尻島の網元2代目小納(こな)宗吉氏が
1900(明治33)年に建築した木造2階建ての住宅で現在は焼尻郷土館。
洋風建築で黒檀、ヒノキ材を使い当時のニシン漁での豪勢な生活のあとを見ることができます。
小納家は120年の歴史を持つ豪商で漁業、呉服、雑貨商、郵便局などを営んでいました。
 
焼尻島はニシン漁と共に発展した島で江戸時代にニシン、昆布、アワビなどで生活をしていました。
1887(明治20)年から1897年ごろがニシン漁の全盛期で
1952(昭和27)年も大漁で1955年以降ニシンはこの地を去ってしまいました(展示物より)。
1844(天保15)年松前藩の命によりニシン場を開設した
名残が厳島神社として焼尻島に残っていました。
 
昨年ニシンがたくさん獲れたそうですが今はイカが換金物になり
ニシンはイカの天敵でイカの体の一部を食べ、
網を破るなど漁民の皆さんには迷惑な魚に変わったそうで残念です。
何年間か豊漁が続くとまた扱いが変わるでしょう、それを期待します。

島からニシンが去ったあと何で稼ぐかを模索した若者2名が羊牧に挑戦しました。
それが今は国内有数の産地となり、
島中央部に広がる牧草地でめん羊サフォーク種500頭ほどが放牧されています。
のんびりと草を噛み、天敵がいない環境でストレスが無く育っているそうです。
潮風を受けて育った牧草は塩分、ミネラルを豊富に含み、
この牧草を食べている羊たちもミネラルが豊富で肉質が柔らかい。
「プレ・サレ焼尻」のブランド名が付きフレンチレストランなどで
いただくことができる上級羊肉ラム肉です。
2008年の洞爺湖サミットの食材として採用されました。

焼尻島から12km離れた天売(てうり)島に行きました。
北海道本島に面した東海岸を280人ほどの人間が住み、
西海岸は高さ100m以上の断崖が続きウトウなど8種類100万羽の海鳥の繁殖地で「海鳥の楽園」。
3月から5月がバードウオッチングに最適です。
この季節に夜ごと繰り返されるウトウの帰巣風景は圧巻でした。

天売島はウトウの世界最大の繁殖地、80万羽ほどがここに大きな穴を作って繁殖しています。
朝から海に出かけ海上で生活をして日没8時ごろ帰ってきます。

その時口ばしにひなの餌、小魚をくわえ帰ってきます。
巣穴は40万個ほどあるそうです、その中の1個自分たちの巣を目がけて時速60kmで帰ります。
そこに体がウトウの2~3倍あるウミネコの群れが口ばしで運んでいる小魚を
狙い待ち構えていて攻防戦がはじまります。
帰巣するときのウトウの羽音とウミネコとの戦いの音が圧巻でした。
上写真は小魚をくわえるウトウで体全体が黒色ですが
小魚がピカッと光るので帰巣は見やすいのですが
スピードがはやく写真を撮るのに神業が必要です。

上写真は小魚をウミネコに獲られたウトウで、
小魚を獲られたウトウも帰ってくる仲間の小魚を狙うそうです。

また、猫も巣穴を荒らすので野良猫の増加抑制策を進めているそうです。



都会への流失、少子化で両島とも人口減が悩みだそうですが、
都会からこの島々を気に入り移り住んでいる人々にお会いしました。
皆さん方は魅力あるこの両島が観光客たちに愛されて
たくさんの人々が来島するのを待っています。