【日本文化創造学科フィールドワーク・嵯峨嵐山①】釈迦如来像に会いに行く

こんにちは!日本文化創造学科三年、ポム亭明太子です。
7月9日(日)、歴史文化フィールドワークの実習で京都の嵯峨・嵐山方面に行ってきました。

今回、私が調査を担当したのは、嵯峨の清凉寺(せいりょうじ)にある釈迦如来像についてです(下の写真は山門)。

 


清凉寺のご本尊は、木像の釈迦如来像です。
奝然(ちょうねん)という東大寺の僧が、宋に渡った際に現地でつくらせ、寛和3年(987)に日本へ持ち帰った中国製の仏像です。

 

今回、事前にお願いして、特別に見学することができました。その際、清凉寺のお坊さんから釈迦如来像の説明をしていただきました。

 

昔、お釈迦様が在世のころ、お釈迦様は生母である摩耶夫人に説法をするために、三か月ほどインドを離れられることになりました。
それを知った優塡王(うでんのう)はひどく悲しみ、毘首竭摩(びしゅかつま)という美術・技巧のうまい人に命じて、お釈迦様の生身の像を造らせたのです。

 

説法から帰ってこられたお釈迦様は、自分と寸分違わぬ像をご覧になり、「私が亡きあとはこの像が私に替わって衆生(しゅじゅう=すべての生きもの)を済度(さいど=悟りの世界に導く)するであろう」と言われ、大層お喜びになられたそうです。

 

のちに、この像はインドから中国に伝えられたといいます。
奝然は、その釈迦如来像を直接拝み、日本人のためにそっくりそのまま模刻し、日本に持ち帰ったのです。そのため、三国伝来の生身(しょうじん)のお釈迦様とも呼ばれています。ちなみに、この像はお釈迦様が37歳の時の姿を像にしたものだそうです。

 

実習の前に、釈迦如来像の写真を見ていたのですが、いざご対面するとその迫力に圧倒されました。

 

また、この木造釈迦如来像の像内にはたくさんの納入品があります。それらの中でも、絹でつくられた五臓六腑は興味深いです(清涼寺では、模造品を見ることができます)。これは、お釈迦様の生身をうつしたことを意図しているそうです。と同時に、当時の東洋医学のすごさを知る事ができました。

今回、釈迦如来像のことを調べ、実際に清凉寺に行き、お坊さんのお話を聞き、釈迦如来像ともご対面することができ、とても有難い時間を過ごさせていただきました。

 

実習の日は、最後の最後に土砂降りになり大変だったのですが、とても楽しかったです。
では、このへんで……。

 

(最後に清凉寺にあった有難いお言葉を皆様にもおすそわけ……)