食文化・小樽北前船

みなさま、こんにちは、関野です。
小樽市総合博物館運河館に北前船の資料を集めに行きました。

小樽はアイヌ文化の長い歴史の後、
江戸時代後半に始まるニシン漁業から
そのニシンを求めて北前船が来た明治初期に
入船川河口に船泊まりが作られ集落ができました。
そして明治時代以降の港湾設備によって発展したまちだそうです(ホームページより)。

「鰊盛業屏風 小樽市総合博物館所蔵(掲載了解済み)」

大坂を春に出て風をたよりに50~60日で北海道に北前船が来るようになった
江戸時代後期から明治中期まで小樽は上方文化の上陸地になった(ホームページより)。

以前北前船の資料集めで行った
福井県旧河野村の右近家所蔵の北前船「久恵丸」の模型が展示されていました。
小樽運河沿いに旧小樽倉庫群があり、
これは廻そう業をはじめた北陸の北前船主たちが倉庫業をはじめ建てた倉庫群です。

加賀橋立の西出孫左衛門が建てた小樽で最初の営業倉庫がこの運河館で、
穀物や海産物などを預かり受ける事業に使用しました。
小樽に倉庫を建てたのは、道東の昆布と日本海側のニシンが集まる好立地で
あったためと言われています。


以前資料集めに行った福井県旧河野村の右近家、
加賀橋立の西出孫左衛門の懐かしい名前を見て、
北前船が日本海側を繋いでいるのを実感しました。


4月の羊蹄山を見に倶知安まで足を延ばしました。
太陽を浴びてピッカピカに光り、美しかったです。


途中でキノコ大国の天丼定食をいただきました。
エビ、マイタケ、シイタケ、シメジの天ぷらの大盛、
アツアツで美味しかったです。
ここがニセコスキー場に行く途中のためか、
周りは外国人で一杯でした。

テレビ、新聞などでニセコの雪質の良さに引かれて
オーストラリア、中国などから若者が
たくさん来ていると聞いていましたが
こんなに大人数だとは思いませんでした。