食文化/瀬戸内海・山陰地方の北前船②

みなさま、こんにちは、関野です。
北前船に興味があり、各地の北前船ゆかりの地を訪ねる旅第2弾です。
*****

2)山陰沿岸地方の足跡

⑤萩


萩で山口名物の瓦そばをいただきました。
熱した瓦の上に茶そばと具材をのせて温かい麺つゆで食べます。
下関川棚温泉名物料理の開発で野戦の合間に瓦を使って
野草、肉などを焼いて食べた話を参考にしてでき上がった料理だそうです。
萩市浜崎港も北前船の寄港地として繁栄していましたが
北前船が大型化すると水深の浅い浜崎は敬遠され船が入港しなくなったそうです。
 

⑥温泉津沖泊(ゆのつおきどまり)


温泉津沖泊は島根県大田市に位置します。
江戸時代に北前船の寄港地で栄え、船をつなぐ「鼻ぐり岩」がたくさん残っていています(上写真)。

16世紀後半毛利氏が石見銀山を支配し、
温泉津沖泊は銀の積み出しと銀山への物資補給で栄えた港です。
銀山が衰退した江戸時代には北前船の寄港地として栄えました。
 

⑦美保関港


島根県松江市に位置する美保関港は昔から風待ちの港として栄えました。
江戸時代には北前船交易の要所としても繁栄。

美保関港に常夜燈があり、山陰の海の玄関口として栄えました。


美保関港の近くにある美保神社に北前船の絵馬が飾ってありました。


美保神社の井戸で廻船御用水です。
干ばつが続き、この場所に井戸を採掘することになり、
廻船の用水として欠かせなかった
諸国の北前船の船頭、船主も浄財を寄進し井戸が出来上がったそうです。
 

⑧境港


水木しげるさんの曽祖父は廻船問屋を営み、
彼が取引先に配った宣伝チラシ「引き札」の公開を見ました。
廻船問屋で運航する北前船で弓ヶ浜特産の伯州綿を全国に運び、
綿作りの肥料として北海道産「ニシン粕」を北前船から大量に買い込んでいました。


江戸時代には陸上交通での大量輸送が難しく、
全国の産物の大量輸送に北前船が大きな役目を果たし
日本の発展に大きく貢献しました。
明治時代になり鉄道が発達すると生き残る港と
衰退していく港に分かれて行きました。


今回は車で1,300km程を走り境港で時間切れになりました。
次回は兵庫県豊岡、香住と京都府宮津を訪ねる計画です。