食文化/瀬戸内海・山陰地方の北前船①

みなさま、こんにちは、関野です。
北前船に興味があり、各地の北前船ゆかりの地を訪ねています。
今回、瀬戸内海沿岸、山陰沿岸地方に残る北前船資料館を訪ねました。
 

(1)瀬戸内海沿岸の足跡

①赤穂坂越


上写真は坂越湾に飾られた北前船の模型。
坂越は赤穂市の東部にある港町で、都市景観100選に選ばれた古い町並みが
北前船での繁栄を私たちに語ってくれます。

坂越湾は良港で綿、塩を北に運び、帰りに北海道海産物、酒田の紅花などを持ち帰りました。
坂越からの赤穂塩と日本海側の塩に大きな価格差があったため大儲けをしました。
坂越ブランドの牡蠣は美味しいので有名ですが、
試食する時間がありませんでした。
 

②鞆の浦(とものうら)


鞆の浦は広島県福山市沼隈半島南端の港です。



江戸時代に北前船が来た証拠である
「常夜燈(上写真江戸時代の灯台)・雁木(がんき)」などが
全て残っているのはこの鞆の浦だけだそうです。
鞆の浦は瀬戸内海の中央に位置し海流が満潮時にはぶつかり合い、
干潮時には東西に分かれて流れ出します。

このような沼隈半島沖の瀬戸内海を通るには鞆の浦で潮の流れが変わるのを待つ必要があり、
潮待ちの港として有名でした。
坂越と同じく鞆の浦も都市景観100選、美しい日本の歴史的風土100選に選ばれました。
宮崎駿さんがこの景観に魅せられ「崖の上のポニョ」の構想を練るために長期滞在したそうです。


また、ユネスコがこの10月に重要な歴史文章などを認定する「世界記憶遺産」に
江戸時代の外交資料「朝鮮通信使に関する記録」の登録を決めました。
朝鮮通信使の通り道であった鞆の浦には歓迎の旗がはためいていました。
朝鮮通信使は室町時代から江戸時代にかけて李氏朝鮮から日本に派遣された外交使節団で
260年間の長きにわたり、間接的に東アジアの平和をもたらした、
日韓親善友好の歴史的資産が評価されたそうです。
 

③岩国寿司


山口県の岩国市で岩国寿司をいただきました。
岩国周辺で作られる押し寿司で初代藩主吉川広家(1561~1625年)が
戦いに備えて作らせた保存食が町民に広がったとされています。
藩で収穫した米・レンコン・野菜に近海の魚の身の押し寿司です。
大きな押し寿司を一人前ずつ切り分けて振る舞うので
ハレの日に欠かせない伝統料理になったそうです。
 

④下関港


本州と九州の間の狭い関門海峡を全ての北前船は通りました。
「押せや押せ押せ下関までも押せば港が近くなる」と新潟県新飯田で唄われていた盆踊り唄の歌詞。
北国の米、肥料、干物、木材などを満載し下関を目指し日本海を西下りしました。
北前船が寄港地、物質中継地としての下関にもたらした富は膨大なもので
江戸時代に入ってから下関は大繁栄をしました。
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つづく