食文化・京都北野3大名物②

みなさま、こんにちは、関野です。
京都北野3大名物の続編です。
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2) 粟餅所澤屋(あわもちどころさわや)の粟餅


俵屋から数分の所に、江戸時代の天和2(将軍綱吉1682)年創業の
澤屋がありました。
粟餅一筋の老舗店でこし餡と黄な粉の粟餅しか売っていません。


注文が入ると目の前で粟餅をこし餡と黄な粉で包んでくれます。
粟餅も作り置きせずに1臼ずつつくので
1日に何回もつくそうです。


昔、粟と稗(ひえ)は米より安く庶民にとって重要な食べ物でしたが、
昭和に米の増産に成功して消化の良い大粒の米がもてはやされ、
現在は粟と稗どちらも栽培量が少なく高級品になりました。
今、米・小麦に対する食物アレルギーの人々の主食として、
また健康食品として見直されています。


こし餡餅が2個と大きな黄な粉餅1個が一人分で
粟のツブツブ感とこし餡のあっさり味でペロッリと美味でした。
 

3) 長五郎餅本舗の長五郎餅

長五郎餅本舗は天正年間(1573~1592年)の創業。
初代の河内屋長五郎が北野天満宮の境内で餅を売ったのが始まり。

当時の餅は今のおはぎの様に餅の外側に餡を巻いていましたが
長五郎の餅は餡の外側に餅を巻く新しいスタイルと
上品で洗練された味が評判を呼んでいました。

1587(天正15)年太閤秀吉公が北野天満宮境内で
北野大茶会(きたのだいさのえ)を催し、
庶民から大名まで茶に興味のある人ならどなたでもOK。
天下人秀吉とお茶ができると1,000名程の客人がやってきました。


その時使われた茶菓が長五郎の餅で、
秀吉はこの餅を絶賛し「長五郎餅」との命名を下賜(かし)ました。
その後も皇室ご用達となり全国に名声が広がったそうです。


お店の茶席で長五郎餅抹茶セットを美味しくいただき、
私の京都北野3大名物ツアーは無事終了しました。
このセットを食べていると沢山のお客様が色々な和菓子を買って帰りました。


京都の人々が和菓子を愛しているのを肌で感じ、
この和菓子文化がいつまでも続き、
何百年も続いているこれら老舗がこれからも栄え続けることを願います。