食文化学科
2017.04.12
食文化・房総半島と茨城②
みなさま、こんにちは、関野です。
房総半島一周の続編です。
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潮来の十二橋巡りをしました。学生時代に友人と乗船し何十年ぶりかの再会。
アヤメの咲く5月から6月の時期は
水郷潮来あやめ祭り大会があり観光客で一杯だそうですが
この時期、船は貸切りになりました。
十二橋の由来は利根川下流に運んでくる土砂が三角州を作り、
江戸時代にこの三角州を新田にする開拓がはじまり
人家と人家の往来に小さな橋が架けられこの橋が
12あり十二橋と呼ばれ始めたそうです。
茨城空港北にあるタカノフーズ(株)納豆博物館に立ち寄りました。
納豆の起源には諸説あり置いた藁(わら)に煮た大豆が落ち
自然に発酵して納豆になった偶然説が有力。
煮豆と藁の出会いがきっかけで納豆ができました。
稲の脱穀後の藁は屋根、ムシロなどに利用、その上に納豆菌の存在があります。
稲藁1本に1000万個の納豆菌の胞子が住んでいます。
納豆菌は他の雑菌が死滅しても生きる強い生命力があるので
この偶然ができた訳です。
納豆の商品化は江戸時代で、
これは納豆をより美味しく食べる為に醤油の製造が始まり、
醤油が安く手に入るようになったことが納豆の普及に役立ったとされています。
納豆菌は1906(明治39)年に発見、
それまでは何が作用して大豆を発酵させているのかを知らないまま、
煮豆を藁に包み糸を引くまで温めて納豆を作っていました。
納豆菌はビタミンK2を作るので納豆をたくさん食べる東日本に住む人々の方が
西日本の人々より骨折が少ないのが統計的に立証されています。
納豆博物館があるなんて地図で見るまで知りませんでした、
これからも新発見ができる食文化の旅にトライします。
房総半島一周の続編です。
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2)茨城県
①潮来(いたこ)十二橋巡り
潮来の十二橋巡りをしました。学生時代に友人と乗船し何十年ぶりかの再会。
アヤメの咲く5月から6月の時期は
水郷潮来あやめ祭り大会があり観光客で一杯だそうですが
この時期、船は貸切りになりました。
十二橋の由来は利根川下流に運んでくる土砂が三角州を作り、
江戸時代にこの三角州を新田にする開拓がはじまり
人家と人家の往来に小さな橋が架けられこの橋が
12あり十二橋と呼ばれ始めたそうです。
②小美玉市納豆博物館
茨城空港北にあるタカノフーズ(株)納豆博物館に立ち寄りました。
納豆の起源には諸説あり置いた藁(わら)に煮た大豆が落ち
自然に発酵して納豆になった偶然説が有力。
煮豆と藁の出会いがきっかけで納豆ができました。
稲の脱穀後の藁は屋根、ムシロなどに利用、その上に納豆菌の存在があります。
稲藁1本に1000万個の納豆菌の胞子が住んでいます。
納豆菌は他の雑菌が死滅しても生きる強い生命力があるので
この偶然ができた訳です。
納豆の商品化は江戸時代で、
これは納豆をより美味しく食べる為に醤油の製造が始まり、
醤油が安く手に入るようになったことが納豆の普及に役立ったとされています。
納豆菌は1906(明治39)年に発見、
それまでは何が作用して大豆を発酵させているのかを知らないまま、
煮豆を藁に包み糸を引くまで温めて納豆を作っていました。
納豆菌はビタミンK2を作るので納豆をたくさん食べる東日本に住む人々の方が
西日本の人々より骨折が少ないのが統計的に立証されています。
納豆博物館があるなんて地図で見るまで知りませんでした、
これからも新発見ができる食文化の旅にトライします。