食文化学科
2017.03.05
食文化・台湾食文化研修①
みなさま、こんにちは、関野です。
台湾へ食文化研修に行きました。
大渓老茶廠、木柵観光茶園と新竹ビーフン製造を報告します。
若者がたくさん見学に来ています。
私たち日本人には「日東紅茶」のルーツを探る工場でもあります。
1899年三井合名会社(日東紅茶)が大渓に茶畑を開拓し、
1926年に広大な「角板山製茶工場」を建設しました。
当時は一面の茶畑だったそうですが現在は茶木から
高値で売れるタケノコ・竹細工用の竹林に植え替えられています。
角板山製茶工場は烏龍茶などを生産していましたが、
1928年ごろから外国の注文で紅茶「合名茶」を作り始めました。
1933年に三井合名会社は「日東紅茶」のブランドを創立し、
その後台湾紅茶の生産を独占し年間生産量が600万トンまでになり
角板山製茶工場は輝かしい歴史の一ページを持ちました。
1945年日本の統治が終わると政府が工場を管理、「角板山製茶工場」を「大渓茶葉」と改名。
1956年の大火災で工場のほとんどが焼失し、
1959年に再建しましたが生産量は減少し
1995年には製造を停止しました。
半世紀ぶりの2010年に工場を改修し、
名前を「大渓老茶廠(大渓老製茶工場)」に改め
「美しすぎるお茶工場」が出現、
茶の世界を人々に紹介する新たな観光地ができました。
周りの竹林も元の茶畑へ徐々に戻しているそうです。
外観からは「美しすぎるお茶工場」の印象がなく
エッエッ?と思いましたが一歩中に入ると。。。。。。
1階入り口付近は打ち放しのコンクリートに白熱電球が垂れ下がり、
茶葉、茶菓子、茶道具などが整然と飾られ素敵な空間で皆さん写真を撮っていました。
*****
つづく
台湾へ食文化研修に行きました。
大渓老茶廠、木柵観光茶園と新竹ビーフン製造を報告します。
1)大渓(ダーシー)老茶廠
ここは「美しすぎるお茶工場」で有名で、若者がたくさん見学に来ています。
私たち日本人には「日東紅茶」のルーツを探る工場でもあります。
1899年三井合名会社(日東紅茶)が大渓に茶畑を開拓し、
1926年に広大な「角板山製茶工場」を建設しました。
当時は一面の茶畑だったそうですが現在は茶木から
高値で売れるタケノコ・竹細工用の竹林に植え替えられています。
角板山製茶工場は烏龍茶などを生産していましたが、
1928年ごろから外国の注文で紅茶「合名茶」を作り始めました。
1933年に三井合名会社は「日東紅茶」のブランドを創立し、
その後台湾紅茶の生産を独占し年間生産量が600万トンまでになり
角板山製茶工場は輝かしい歴史の一ページを持ちました。
1945年日本の統治が終わると政府が工場を管理、「角板山製茶工場」を「大渓茶葉」と改名。
1956年の大火災で工場のほとんどが焼失し、
1959年に再建しましたが生産量は減少し
1995年には製造を停止しました。
半世紀ぶりの2010年に工場を改修し、
名前を「大渓老茶廠(大渓老製茶工場)」に改め
「美しすぎるお茶工場」が出現、
茶の世界を人々に紹介する新たな観光地ができました。
周りの竹林も元の茶畑へ徐々に戻しているそうです。
外観からは「美しすぎるお茶工場」の印象がなく
エッエッ?と思いましたが一歩中に入ると。。。。。。
1階入り口付近は打ち放しのコンクリートに白熱電球が垂れ下がり、
茶葉、茶菓子、茶道具などが整然と飾られ素敵な空間で皆さん写真を撮っていました。
*****
つづく