食文化・高田屋嘉兵衛と淡路島①

みなさま、こんにちは、関野です。

淡路島洲本市都志へ北前船の髙田屋嘉兵衛の生誕地を訪ねました。


髙田屋嘉兵衛は5人の弟たちと回漕業を起こし、
1796年28歳で当時としては最も大きな「辰悦丸(しんえつまる)」を新造。
淡路島から箱館へ渡り、箱館を拠点として西廻航路北前船の事業を展開し
「北の豪商」になりました。

箱館の豪商として湾内の埋め立て、港の整備、道路の改修などを行い
箱館繁栄の基礎を築き、「箱館の街の開祖」と言われ今も尊敬されています。


 
この看板が髙田屋の屋号で、
この前の道を上ると髙田屋歴史文化資料館がありました。


上写真は、資料館前庭のロシア人ゴローニン艦長と嘉兵衛が
並び立つ日露友好の像です。
嘉兵衛が北方で活躍していたころ、
択捉島(エトロフ)の漁場からの帰りに偶然ゴローニン事件に遭遇し、
彼はロシアに捉えられ連れて行かれました。
翌年帰国し、捕虜になっていたゴローニン艦長を
江戸幕府への説得で釈放し日露両国の和解を実現しました。

江戸時代に日露民間外交の先駆者としても、偉大な功績を残しました(パンフより)。
そして、今も洲本市都志はロシアとの交流が続き、
ゴローニンと嘉兵衛の子孫たちの再会があったそうです。


髙田屋嘉兵衛都志屋敷の跡地です。
引退して故郷都志に帰った嘉兵衛は私財を郷土のために使い、
都志港突堤の築造、先山千光寺の三重塔の修理などを積極的にしていたそうです。


淡路島の今の旬は鰆(さわら)で、
脂肪が乗り美味しい時期だそうでお店のお勧め料理。
鰆のたたき定食と鰆のあぶり焼き丼です。


店主のお勧め通り脂肪が乗り美味しく、ペロリと頂きました。
鰆は成長するにしたがってサゴシ、ナギ、サワラと呼び名が変わる出世魚。
春から瀬戸内海にやって来るので「魚」偏に「春」と書き、
関西で生まれた漢字とされています。