食文化学科
2017.02.20
食文化・高田屋嘉兵衛と淡路島①
みなさま、こんにちは、関野です。
淡路島洲本市都志へ北前船の髙田屋嘉兵衛の生誕地を訪ねました。
髙田屋嘉兵衛は5人の弟たちと回漕業を起こし、
1796年28歳で当時としては最も大きな「辰悦丸(しんえつまる)」を新造。
淡路島から箱館へ渡り、箱館を拠点として西廻航路北前船の事業を展開し
「北の豪商」になりました。
箱館の豪商として湾内の埋め立て、港の整備、道路の改修などを行い
箱館繁栄の基礎を築き、「箱館の街の開祖」と言われ今も尊敬されています。
この看板が髙田屋の屋号で、
この前の道を上ると髙田屋歴史文化資料館がありました。
上写真は、資料館前庭のロシア人ゴローニン艦長と嘉兵衛が
並び立つ日露友好の像です。
嘉兵衛が北方で活躍していたころ、
択捉島(エトロフ)の漁場からの帰りに偶然ゴローニン事件に遭遇し、
彼はロシアに捉えられ連れて行かれました。
翌年帰国し、捕虜になっていたゴローニン艦長を
江戸幕府への説得で釈放し日露両国の和解を実現しました。
江戸時代に日露民間外交の先駆者としても、偉大な功績を残しました(パンフより)。
そして、今も洲本市都志はロシアとの交流が続き、
ゴローニンと嘉兵衛の子孫たちの再会があったそうです。
髙田屋嘉兵衛都志屋敷の跡地です。
引退して故郷都志に帰った嘉兵衛は私財を郷土のために使い、
都志港突堤の築造、先山千光寺の三重塔の修理などを積極的にしていたそうです。
淡路島の今の旬は鰆(さわら)で、
脂肪が乗り美味しい時期だそうでお店のお勧め料理。
鰆のたたき定食と鰆のあぶり焼き丼です。
店主のお勧め通り脂肪が乗り美味しく、ペロリと頂きました。
鰆は成長するにしたがってサゴシ、ナギ、サワラと呼び名が変わる出世魚。
春から瀬戸内海にやって来るので「魚」偏に「春」と書き、
関西で生まれた漢字とされています。
淡路島洲本市都志へ北前船の髙田屋嘉兵衛の生誕地を訪ねました。
髙田屋嘉兵衛は5人の弟たちと回漕業を起こし、
1796年28歳で当時としては最も大きな「辰悦丸(しんえつまる)」を新造。
淡路島から箱館へ渡り、箱館を拠点として西廻航路北前船の事業を展開し
「北の豪商」になりました。
箱館の豪商として湾内の埋め立て、港の整備、道路の改修などを行い
箱館繁栄の基礎を築き、「箱館の街の開祖」と言われ今も尊敬されています。
この前の道を上ると髙田屋歴史文化資料館がありました。
上写真は、資料館前庭のロシア人ゴローニン艦長と嘉兵衛が
並び立つ日露友好の像です。
嘉兵衛が北方で活躍していたころ、
択捉島(エトロフ)の漁場からの帰りに偶然ゴローニン事件に遭遇し、
彼はロシアに捉えられ連れて行かれました。
翌年帰国し、捕虜になっていたゴローニン艦長を
江戸幕府への説得で釈放し日露両国の和解を実現しました。
江戸時代に日露民間外交の先駆者としても、偉大な功績を残しました(パンフより)。
そして、今も洲本市都志はロシアとの交流が続き、
ゴローニンと嘉兵衛の子孫たちの再会があったそうです。
髙田屋嘉兵衛都志屋敷の跡地です。
引退して故郷都志に帰った嘉兵衛は私財を郷土のために使い、
都志港突堤の築造、先山千光寺の三重塔の修理などを積極的にしていたそうです。
淡路島の今の旬は鰆(さわら)で、
脂肪が乗り美味しい時期だそうでお店のお勧め料理。
鰆のたたき定食と鰆のあぶり焼き丼です。
店主のお勧め通り脂肪が乗り美味しく、ペロリと頂きました。
鰆は成長するにしたがってサゴシ、ナギ、サワラと呼び名が変わる出世魚。
春から瀬戸内海にやって来るので「魚」偏に「春」と書き、
関西で生まれた漢字とされています。