食文化・近松門左衛門と尼崎

みなさま、こんにちは、関野です。
私の住む尼崎市にある近松の里「近松記念館」へ行きました。


近松門左衛門(1653~1724)の銅像。

近松記念館には近松門左衛門(本名杉森信盛)の資料が100点保存されているそうです。
尼崎市が近松門左衛門に力を入れたのは市制70年(今年は市制100年)の時
尼崎のイメージ公害の町からの脱却を司馬遼太郎氏に相談をしました。
すると近松門左衛門がいるではないかのアドバイスを彼から貰ったそうです。

近松門左衛門は越前藩士杉森信義の次男、
福井に生まれ京都、大阪で浄瑠璃作家として活躍し
東洋のシェイクスピアと呼ばれています。
時代物90本、歌舞伎物30本、世話物24本を書きました。
世話物の中で実際に起きた心中事件を題材にした心中物「曽根崎心中」などが
庶民の間で大爆発し人気がでました。


近松記念館の横にある廣済寺です。

近松は知り合いの歌舞伎役者などから寄付金を集め、
この寺の復興に力をそそぎました。
その功績で、本堂の裏に近松部屋をもらい、62歳から72歳までここで執筆しました。


この寺にある、
近松門左衛門の墓で別ペンネーム近松巣林子(そうりんし)の名があります。
大阪にも分骨した墓があるそうです。


今朝の新聞記事に近松門左衛門直筆浄瑠璃草稿が尼崎市に寄贈されたとありました。
これは全国に2ツしかない直筆草稿の1ツ、
1708年に初演された時代物「傾城反魂香(けいせいはんごうこん)」の上巻の一部だそうです。



もう一つ最近尼崎を有名にしてくれたのが、尼子騒兵衛の「忍たま乱太郎」です。
久々知兵助、富松作兵衛、猪名寺乱太郎、立花仙蔵、下坂部平太、
七松小平太、食満(ケマ)留三郎など尼崎の地名の苗字がたくさん出てきます。
この地名巡りをしている女子会があるそうで、尼崎市民としては嬉しいですネ。
尼子騒兵衛のペンネームは尼崎市出身で騒がしいことからだそうです。


尼崎の農業特産品は田能の里イモと富松の空豆(空に向けて実がなるのでこの名がある)です。
田能の里イモは皮をむくとき、かゆみがなく料理人には嬉しいイモです。
のっぺい汁として年中行事、冠婚葬祭で振舞われているそうです。
富松の空豆は自宅近くで米の裏作に植えられています。
豆の大きさが一寸(3.3㎝位)と大きく富松一寸と呼ばれ、
旬の時一寸豆祭が神社で催されています。


また、昔は酒樽を覆っている菰(こも)作りが、農閉期に農家で盛んに作られていたそうです。
これは、尼崎が酒の一大生産地の西宮、伊丹のとなりにあるためです。
今は都市化で菰織り農家はなくなったそうですが、
現在も菰の全国シェアが90%あるそうで、隠れ尼崎特産品だそうです(尼崎ホームページより)。


長年住んでいるところでも、地域の事を何も知りませんでしたが、
今年から地域デビューをして楽しんでいます。