食文化・北前船食文化研修⑥

こんにちは、関野です。
北前船食文化研修の最終回です。
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函館朝市で、威勢のいい呼び声が飛び交う中、水揚げされたカニ、イカ、ウニなどの海産物と
農家で収穫された野菜などが所狭しと売られていました。
市民の台所として昔から親しまれた朝市ですが、今は観光客が大半を占めるようになったそうです。
男爵イモ、ニンニク、トウモロコシ、カニなどを買って帰りました。
 

6)箱館髙田屋嘉兵衛資料館



「あくなき開拓精神と勇気を持ちつづけ
北の地を舞台に情熱を燃やし尽くした海の男の物語(パンフ表紙より)」
貧しい農家の長男として、淡路島で生まれた嘉兵衛は
海が好きで船乗りになりました。

5人の弟たちと回漕業を起こし、
1796年28歳で当時としては最も大きな「辰悦丸(しんえつまる)」を新造。
箱館へ渡り、ここを拠点として西廻航路北前船の事業を展開し「北の豪商」になりました。
ニシンは主に綿花・菜種の肥料として、日本の農業の発展に寄与しました。
箱館の豪商として湾内の埋め立て、港の整備、道路の改修などを行い
箱館繁栄の基礎を築き、「箱館の街の開祖」と言われ今も尊敬されています。

加賀市の北前船の資料館でも北前船船主は富を自分達だけの物にはせず、
道路整備、学校・病院を建て社会に還元したと聞きました。

これは髙田屋嘉兵衛の出身は淡路島ですが、
北前船が近江商人たちから始まり、近江商人の三方よしの理念を
具現化していると考えられます。
買い手よし、売り手よし、世間よしという「三方よし」で
自らの利益のみを求めるのではなく
利益が貯まると無償で橋・学校を建て世間のためにも貢献する精神です。

彼は幕府からの要請を受けエトロフ航路を開き、
北方領土の開拓に尽力し、根室の街の基礎も作りました。
また、ロシアとの民間外交にも尽力をしたそうで、
司馬遼太郎氏が彼をモデルに「菜の花の沖」を著しています。
 

7)川田男爵資料館

男爵イモを普及させた川田龍吉男爵が大正初期に開いた牧場で、
1910年代のアメリカ製農機具などが展示され、資料館(パンフから)になっています。

ぜひ見学に行きたかったのですが残念ながら長期休館中でした。
川田龍吉男爵は1856年に土佐で生まれ21歳で造船技術を学びに英国に留学、
スコットランドでジャガイモに出会いました。

後日函館ドックに招聘され函館に渡り、
風景・風土が英国に似ていたのでジャガイモをこの地で育てたいと考えました。
アメリカ・英国から種イモを取り寄せ試行錯誤の末、
アイリッシュコブラ―の品種が適し普及させ、
これを農家の人々は男爵が育てたイモから男爵イモと名付けました。

彼は函館ドックを勇退後北海道農業の近代化に尽力しようと農場の払い下げを受け、
アメリカから最新式の農機具を輸入し機械化による農業を実践しました。

北前船の研修で江戸時代にタイムスリップができ
先人の偉業を肌で感じることができました。

江戸、明治時代の人々は北海道に夢とロマンを持っていたことがよく分かりますネ。
私の世代も北海道大学で学びたいと、
北海道にあこがれを持っていた世代なのを思い出しました。

私の北前船のキャッチフレーズは「歴史とロマン」でした。