食文化・北前船食文化研修②

みなさま、こんにちは、関野です。
北前船の研修、第2弾です。
 

3) 余市

余市は昔から漁業と果実栽培で栄えました。
暖流の日本海流は余市に海の幸と果実に適した、
温和な気候を与えてくれています。
リンゴ、ブドウ、サクランボ、ブルーベリー、プルーンなどが
道路の路肩で売られていました。



上は、旧下ヨイチ運上家(ウンジョウヤ)の玄関前



これはその内部で、松前藩が設置した運上家の遺構です。

当時の格好をした人形が何点か配置され、当時さながらの雰囲気でした。
松前藩は蝦夷地と本州からの松前船の交易は、
運上金を払った商人に請け負わせていました。

その中で活躍したのが竹屋林長左衛門で、
1825年上下ヨイチ場所を明治まで4代請け負いました。
運上家は場所請負人によって設置され、
アイヌと本州人・松前藩の和人との交易の場所、今で言うと総合商社。

多くの運上家は明治以降、番屋・倉庫に転用され
ニシン漁が衰退すると番屋の機能を失い朽ち果て、
残っている遺構はこの旧下ヨイチ運上家のみになってしまったそうです。
1806年に遠山の金さんのお父さんもこの運上家に視察で滞在したそうです。





上の写真は、旧余市福原漁場の納屋場と粕干場。
この漁場ではニシン漁から加工、製品化、製品の搬出までしていました。

余市から積丹半島各地のニシン漁は江戸時代から昭和30年頃まで
ニシンがコツゼンとやって来なくなるまで賑わいました。
ニシンが不漁になると、隆盛が嘘のようにニシン関係の人々は没落してしまいました。
北海道の江戸から明治にかけてのニシンの史跡は、ほとんど残っていないそうで
旧余市福原漁場はニシン漁に関する当時の施設が、そのまま揃っている貴重な史跡。

漁場の広さにビックリで、展示内容を見ることにより、
当時の漁法、加工、生活などの繁栄ぶりを知ることができました。

3月下旬から2か月ほどの漁期には、
東北などからの出稼ぎの漁夫など多くの人々が仕事をしました。
ここではニシンは鰊と書かず鯡でニシンは魚に非(あら)ず、米で、
石川県加賀市の北前船の資料館では魚に非(あら)ず、大判小判と言っていました。
その場所の貴重な物で表現されていて面白いです。
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つづく