食文化・北前船食文化研修①

みなさま、こんにちは、関野です。
夏休みいかがお過ごしですか。
ニシン漁で栄えた北海道道南の松前から江差、余市、函館を
北前船の研修でめぐりましたので、シリーズで報告します。
 

1) 松前


日本の最北端で道内唯一の城下町が松前です。
城と桜の町としても有名で、最北の小京都。

松前藩は渡島半島の南端に位置し、
当時はまだ米を作ることができなかったため、
農業に経済基盤を置くことが出来ませんでした。

そのため、蝦夷地の砂金・木材などの特産物と松前に来る船からの税金が主な収入。
幕末には三万人が住み、仙台以北最大の町。
北前船が走る海の道を、産物・文化が行き来し
北の辺地に豊かで華やかな町が生まれました。
上写真は藩屋敷跡で栄華を誇った城下町を再現し、
武家屋敷、番屋、廻船問屋など14棟が復元されていました。
 

2)江差・積丹半島


江差は江戸時代から明治初期までヒノキ・アスナロの産地、ニシン漁業・コンブ漁の基地
として北海道を代表する商業港として繁栄しました。
これらの物資の交易に活躍したのが北前船を使って商売をしていた近江商人です。

近江商人たちは松前藩と手を組んで蝦夷交易を独占し勢力を誇りました。
この江差の旧中村家住宅(上写真、鯡御殿)は、江戸時代から日本海沿岸の漁家を相手に、
海産物の仲買商を営んでいた近江商人の大橋宇兵衛が建てた店舗兼住宅です。

1915年(大正4年)、大橋氏が江差を離れる時支配人の中村氏が譲りうけました。
家屋は当時北前船で運んだ笏谷石(しゃくだにいし)を積み上げた土台の上に、
総ヒノキ・アスナロ切妻造りの大きな二階建ての母屋が乗った、
問屋建築の代表的な造りだそうです。

笏谷石は福井市足羽山産で江戸時代に露天掘りで採掘され、
北前船で全国に出荷されていました。
今は住宅の裏は埋め立てで幹線道路になっていましたが
昔はここまで海があり船荷の上げ下ろしを住宅で直接できるように考えられていました。
ニシンが豊漁の時代は江差の繁栄は江戸にもないと言われ、多くの商家が建ち並んでいたそうです。



積丹(シャコタン)半島の神威(カムイ)岬。
右の掘っ立て小屋は漁師たちの休憩小屋であちこちに建ててありました。


3色丼(ウニ、マグロ、イクラ)で、ウニだけの丼は売り切れでした。
6月から8月までが漁期の積丹のウニは細目昆布を食べて育つので
甘く粘りがあり美味しかったです。

積丹のマグロも有名で美味しかった、
積丹神威岬沖でとびはねているクロマグロは3~4日寝かせてからが食べごろです。
道南には2色丼、3色丼などがどの食堂にも豊富にあり
丼の具はそれぞれの食堂が工夫しています。


余市に行く途中の寿都町ににしん街道の表示があり、
寿都町もニシン漁で栄えた町です。
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つづく