食文化・壱岐&対馬②

みなさま、こんにちは、関野です。
歴史ロマンの国境の島「壱岐・対馬」の第2弾です。
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2)対馬

人口は32,000人程で壱岐の5倍の面積があるそうです。
山林は89%、平地は3%、宅地は1%で、
山々が連なり海岸線は深い断崖絶壁で壱岐とは形態の違う島でした。
砂浜がないので、海水浴はできないそうです。

展望台から浅茅(アソウ)湾のリアス式海岸を見ます、絶景でした。


赤い橋が万関橋で対馬の2ツの島を結ぶ橋です。
対馬は昔1ツの島でしたが、
明治後期、南下政策をとるロシアとの戦争開始の機運が高まり、
日本海軍は水雷艇を対馬海峡東水道に出撃させるために、
島を開削し運河を作り、島を2ツに分け水雷艇を近道の運河で通行させました。
道具のない時代にどんな風に開削したのか、昔の人々の苦労が忍ばれます。



写真の中央、木立の間に四角の筒状で木の蓋がしてある
蜂洞(ハチドウ、巣箱)が2個置いてありました。
対馬は国内で二ホンミツバチだけが生息している唯一の地域だそうです。
養蜂の記録は1500年前頃からあり将軍、大名などの貢ぎ物として、
また朝鮮使節団の饗応の膳に使われていました。
野生の二ホンミツバチは豊かな自然の中を飛び回り、
花々から蜜を集めています。
島めぐりをしていると花が多いのに気が付きます。



今はヒトツバタゴ(別名ナンジャモンジャ)が満開でした、
老木の花は白さが増すそうで、この木の花々は美しい白で見事でした。
対馬市鰐浦地区は3000本程が自生していて
国の天然記念物「鰐浦ヒトツバタゴ自生地」に指定されています。
この木は絶滅危惧Ⅱ類(レッドリスト)になっていて、対馬では大切に育てられています。



石焼料理で、対馬の郷土料理。
対馬の近海は暖流とプランクトンの多い寒流がぶつかりあう漁場で、
対馬の主な産業は漁業です。
石焼料理に使う石は石英斑岩で30分予熱してから石の上に
魚、野菜を置いて焼いて食べます。

熱い石が発する遠赤外線が食材をジンワリ内部から焼き上げるため、
ふっくらとした素材の味を楽しむことができる料理法。
ヒラマサ、イカ、アナゴ、サザエ、野菜などみんな美味しかったです。



左写真が六兵衛の乾燥団子で水に戻し、よくこねてから押し出し器で麺を作り
つなぎは用いないそうです。道具を使った麺の作り方は日本では珍しいそうです。
右写真お椀の中の上部が黒色の六兵衛、下部はワカメです。
六兵衛はサツマイモの澱粉を麺にしたもので、
黒っぽい麺でプリプリした食感でした。
サツマイモは江戸時代に薩摩藩からやって来ました。
岩ばかりで平地がほとんどない対馬のやせ地に適しましたが、
水分、糖分が多く腐りやすく保存が難しい作物。

そこで、サツマイモを水につけて発酵させ澱粉を取り出す方法が考案され
長期保存が可能になりました。先人の知恵にはいつも驚かされます。
ダシは地鶏、シイタケなどを使います。
シイタケは対馬の産業の1ツで森の中にホダ木が至る所にあり
森が育てたシイタケが一番美味しいそうです。

壱岐・対馬は文永11年(1274年)、弘安4年(1281年)に元寇で
戦場になり、多数の島民が犠牲になりました。
国境の島としてこれからも益々重要な存在です、
より一層の発展をお祈りしています。