【日本文化創造学科フィールドワーク・大山崎⑥】妙喜庵

こんにちは。
三回生のシェリーです。

 

今回、歴史文化フィールドワークで、京都の山崎にみんなで行きました。
私がこのブログで担当するのは「妙喜庵」というところです。



最後まで読んでくださるとうれしいです。

妙喜庵という場所は山崎駅のすぐ近くにある、この豪邸の中にあるお茶室です。



見学には、一か月以上前に往復はがきで複数の日を記載して申し込みをする必要があります。
月曜日と水曜日が休みになっているので、その他の曜日を目指してください。(団体もお断りだそうで…私たちは入れませんでした)

 

妙喜庵がどういう場所なのかご存じですか?
知らない方もいらっしゃいますよね?!
では、懇切丁寧に説明いたしましょう!!

 

妙喜庵というのは、侘茶を極めた千利休の唯一の遺構とされる茶室で、国宝です!

 

この茶室は、利休の作と実証する記録はいまだに見当たらないそうで、諸説あります。
ひとつ目は秀吉が光秀を討った「山崎合戦」の時に、秀吉が利休に命じて作らせたというもの。

ふたつ目は当時の妙喜庵住職だった功叔士紡という人は、茶人としても有名で、利休に依頼してこの茶室建てたというもの。

このどちらの仮説でも、利休が考えて創ったものに違いはないそうです。

 

大山崎歴史資料館では、妙喜庵のレプリカがあり、見ることができます。
男性二人がお客の席に座り、もう一人がお茶をたてるために座る。
この人数で定員オーバーなのです。
入り口は女性であっても、男性であっても入るのに困難で、
腰を悪くする確率99%でしょう(超個人的な感想)。

 

信長や秀吉の望んだ豪華絢爛たる大建築に対比する草間庵の小建築を、利休は「侘寂」といってたいへん好んだらしいです!

 

私は中学生の頃に茶道を少し体験していたので、私の中では当たり前の狭さで、あたり前のお茶室の入り口でしたが、豪華絢爛さに慣れてしまっている人からしたら、とても窮屈で、逆に豪華過ぎる大きな部屋では利休は身に余ると考えていたのではないか、と私は思いました。

 

また機会があれば、はがきで応募して、中に入ってみたいと思います。

 

ここまで読んでくださり、ありがとうござました。
このブログを読んで一人でも、妙喜庵に興味を抱き、
足を運んでくれる人が増えることを心から願っています。ばいばーい。

 

【日本文化創造学科フィールドワーク・大山崎⑤】大山崎に秀吉を見つけに行った