【日本文化創造学科フィールドワーク・大山崎④】閻魔堂

こんにちは、日本文化創造学科の不二です。

5月21日のフィールドワークでは、JR山崎駅を出発して京都と大阪の境目の地をまわりました。

 

私が調査を担当した「宝積寺」には、絵本や小説、漫画、アニメ、ゲームなどでしばしば題材になる閻魔大王の像が安置された閻魔堂があります。
現在は宝積寺にある閻魔堂ですが、本来は現在の「サントリー山崎蒸溜所」にありました。ウイスキー工場は、もと西観音寺というお寺だったのです。

 



(写真は、サントリー蒸溜所に残された、西観音寺閻魔堂跡の碑です)

 

閻魔堂は、明治時代の廃仏毀釈によって取り壊されました。閻魔堂には、閻魔大王以外にも伝倶生神像(司命)、伝暗黒童子像(司録)、伝司録像(五道転輪王)、伝司命像(太山府君)が安置されており、それらの像は京都国立博物館に移されていました。

 

閻魔堂は、閻魔大王が地獄と極楽の境目で死者の審判を行うことと関係して、京都・大阪の境目の地である山崎に建てられたものです。そのため、「やはり閻魔大王は境目の地に置くべきだろう」ということになり、京都国立博物館から再び山崎に移されることとなり、宝積寺に現在の閻魔堂が建てられたのです。

 

その閻魔大王の像は、鎌倉時代につくられた古いものですが、保存状態がよく、たいへん綺麗です。そんな綺麗な状態の五体の像が、手の届きそうな距離からを見ることが出来ます。悪いことは出来ないという気持ちにさせられる迫力と存在感です。

 

地獄と極楽の境に行く前に、是非、一度、閻魔大王にご挨拶を。

 

【日本文化創造学科フィールドワーク・大山崎③】油で繁栄した町