日本文化学科
2016.12.28
【日本文化創造学科フィールドワーク・方広寺編⑰】三十三間堂―通し矢―
こんにちは。国際英語学科のS.Nです。
先日の観光フィールドワークの授業で、
私が担当して調べたのは、三十三間堂で行われていた通し矢についてです。
通し矢は、蕪坂源太という人物が三十三間堂の軒下で矢を射通したことが始まりと言われている矢数競技です。
この競技は、約120mある本堂と約60mの半堂に分かれ、一昼夜行われる大矢数、
十二時間行われる日矢数、百射、千射などの種目で記録更新を競います。
通し矢の最高記録は、1686年に行われた大矢数で、十八歳の青年が13,053本の矢を放った内、
8,133本を射通したという記録です。
彼の場合、一時間に約544本、一分間に約9本も発射していました。
明治以降、通し矢は行われなくなりましたが、今では通し矢に因んだ弓道大会が毎年1月に開催されています。大会は無料公開されているので是非行ってみてください。
三十三間堂では、実際使われていた弓や矢、通し矢の記録が書かれている矢数帳などが展示されています。
通し矢で放った矢が柱に刺さらないよう、お堂の側面には鉄が張られていました。
これ以外にも、見どころは沢山あるので、ぜひ足を運んでみてください。
【日本文化創造学科フィールドワーク・方広寺編⑯】千体の仏さまの中には
先日の観光フィールドワークの授業で、
私が担当して調べたのは、三十三間堂で行われていた通し矢についてです。
通し矢は、蕪坂源太という人物が三十三間堂の軒下で矢を射通したことが始まりと言われている矢数競技です。
この競技は、約120mある本堂と約60mの半堂に分かれ、一昼夜行われる大矢数、
十二時間行われる日矢数、百射、千射などの種目で記録更新を競います。
通し矢の最高記録は、1686年に行われた大矢数で、十八歳の青年が13,053本の矢を放った内、
8,133本を射通したという記録です。
彼の場合、一時間に約544本、一分間に約9本も発射していました。
明治以降、通し矢は行われなくなりましたが、今では通し矢に因んだ弓道大会が毎年1月に開催されています。大会は無料公開されているので是非行ってみてください。
三十三間堂では、実際使われていた弓や矢、通し矢の記録が書かれている矢数帳などが展示されています。
通し矢で放った矢が柱に刺さらないよう、お堂の側面には鉄が張られていました。
これ以外にも、見どころは沢山あるので、ぜひ足を運んでみてください。
【日本文化創造学科フィールドワーク・方広寺編⑯】千体の仏さまの中には