【日本文化創造学科フィールドワーク・方広寺編⑫】浅井氏ゆかりの養源院

こんにちは!はじめです。
今回は養源院についてレポートしますよ!


 

養源院は、戦国時代が終わりを迎える頃、豊臣秀吉の妻である淀殿が、父・浅井長政のために建てました。


落雷により焼失してしまいますが、妹の江(お江与の方)により1621年に再建されています。
本殿や護摩堂は伏見城の遺構を移築してきたものです。
 

養源院といえば「血天井」があることで有名です。


これは元々伏見城にあった床板を再建時に天井板に使用したもので、関ヶ原の戦いで伏見城を任された徳川家家臣、鳥居元忠含む約380名が切腹した時の血痕や体の跡が染み付いています。


また、本堂のふすまや杉戸の絵は俵屋宗達が手がけています。
白い2頭の象の絵です!美術の教科書に載っているので一度は見たことがあると思います。


豊臣秀吉の没後、徳川は徹底的に豊臣関係の建物を壊しますが、江が徳川2代将軍秀忠の妻であったこともあり再建され、その後は徳川の菩提寺となっています。


養源院はそんな浅井の血を引く2人ゆかりの不思議な建物です。
三十三間堂の裏にあるので近くに来た際はぜひ!!

 

【日本文化創造学科フィールドワーク・方広寺編⑪】京都in智積院